霊視能力があっても、すべての霊が見えるわけではない。

本来は、見えるはずのないものが見えることや、霊の姿を視覚的にとらえることを、霊視といいます。たとえばオーラが見えることや、前世が見えること、未来の可能性が見えることなども、霊視能力のバリエーションと位置づけることが多いようです。

文字的な意味としては、「霊視とは、霊が見えること」ですが、この言葉の使われ方としては、「未知のものが見えるセンス全般を、霊視」と呼ぶことが一般的です。

どの領域が見えるかは、それぞれ違う。

霊視能力を備えている人でも、すべての霊が見えるわけではありません。

何がどのくらい見えるか、条件付きで見えるのか、無作為に見えるかなど、見え方も、人によりかなりの違いがあります

守護霊は見えるが、浄化していない霊(いわゆる幽霊)は見えない人もいます。逆に、幽霊は見えることがあるが、守護霊は見えないという人もいます。

たとえば私は、守護霊には波長が合いやすいですが、先祖霊にはそれほど波長が合わないですし、幽霊はそんなに頻繁に見ることはないです。

霊感の強さと、霊視は必ずしも比例しない。

一般的な認識として、「霊感が強い人ほど、霊視される範囲が広い」とか、「霊感が磨かれて強くなっていけば、霊視される範囲が比例して広がっていく」という解釈がなされていることが多いようです。

しかし、実際のところは、必ずしもそうした規則性はなく、霊感がとても強くても、霊は見えない人はたくさんいますし、霊感が磨かれて強くなったとしても、霊視能力にあらわれるとは限らず、ケースバイケースなのです。

霊視は、霊感のあらわれの一形態にすぎない。

霊感の強さが、どのようなあらわれ方に結びついているかは、人それぞれで、霊視能力に結びつくとは限らず、バリエーションはたくさんあります。

たとえば、芸術センスとしてあらわれることもあれば、クリエイティブなセンスとしてあらわれることもあります。直感が冴えている人もいますし、波長などのエネルギーを把握することに優れている人もいます。

霊視能力というのは、そうしたバリエーションのひとつにすぎません。

見るというとらえ方が、シンプルで理解しやすいため、それが代表的という扱われ方になって、認識が一般化したということでしょうね。

霊の見え方も、それぞれ違う。

霊視能力を備えている人同士でも、どの領域に波長が合いやすいかという特性の違いによって、見える範囲も見え方も、個人差がでるものなのです。

何が見えるかという違いがあるのは、先に説明したとおりです。

どのように見えるかも、人それぞれ違いがあって、相手のオーラをスクリーンとして見えたり、自分の頭の内側に投影されるかのように見えたり(この場合、思い出す感覚と、少し似ています)、肉眼で物を見るのと同じように見えたりと、いろいろあります。

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