スピリチュアルなことに意識が向きすぎると、「夜型」のサイクルになりやすい。

スピリチュアルなことに関心をもつのは、「適切な度合い」であることが大事です。

あまりに関心が大きくなりすぎても、日常の生活のほうへ向ける意識や労力が十分でなくなります。スピリチュアルなことを、自分の人生にいかすためには、やはり現実の生活のほうにも、意識と労力を向けていくことで、ちょうどよいバランスがとられます。

行動したくなるか、思考だけをしていたくなるか。

バランスがとられているときは、生活全般に、自分のエネルギーとスピリチュアルなエネルギーがうまく融合して「のっている」状態となります。

この2つにわけめがないので、満ちている感覚になります。落ち着いていて、そして、充実している実感がわきます。そういうときには、いい行動ができるものです。また、いろんな思いを形にあらわしたくなりますから、行動を起こしたくなります。

一方、スピリチュアルなほうに偏りすぎているときは、現実的な生活のほうに向ける意識が少なくなって、内的な領域のほうへ向ける比重が大きくなります。そうなると、常に、思考の世界に入っていたくなり、行動が少なくなります。思考をしているときのほうが充実した気持ちになり、行動をする時間がもったいないような気持ちになります。

高揚感はあるけれども、落ち着きがない、エネルギーが「上がっている」状態になって、フワフワしすぎになっていたりしますね。

夜型になると、確かに「冴える」けれど。

自分でできる判断の方法として、スピリチュアルに意識が向き過ぎているときは、生活サイクルが「夜型」になりやすいです。夜になると冴えてきて、夜遅くまで起きていて、いろいろ考えているのが楽しくなってきます。

睡眠というのはスピリチュアルな行為で、寝ている間は、たましいがあちらの世界に里帰りしているといます。そういう時間帯(皆が寝ている時間帯)というのは、スピリチュアルな感性が「あちら寄り」になるので、とても冴えるものなのです。

ですから、そうしたくなる気持ちはわからないではないのですが、本来、しっかり眠ってスピリチュアルなエネルギーをチャージすべき時間帯に、眠らずにいては、気力と体力がうまく身体に巡らなくなるので、疲れやすくなります。

そうなると、考え方や解釈の仕方がネガティブになります。

冴えが違う方向にいって、他人の粗が目について、批判的になったり、夢みたいな現実的でないアイデアが、斬新でいいものだと思い込んでしまうこともあります。一方に傾いているときには、そうしたアンバランスが、なぜか、わからなくなってしまうことがあるものなのです。一方に傾くことの弊害は、その点でしょうね。

仕事の都合などで夜型になる場合は別です。けれど、現実的な必要性もないのに、夜型になってしまっている人は、スピリチュアルな方面に意識が向きすぎていないかを、振り返ってみましょう。

朝の冴えは、現実的で「使えるアイデア」が多い。

しかし、せっかくの「冴えた感覚」を手放すのは惜しいと、朝型の生活サイクルに戻すことに抵抗感がでてくる方もいるかもしれません。そういうときは、現実的に生活にいかせるように「朝一番の冴え」を得るという方向に、新たな価値を見つけてみましょう。

しっかり眠って、スピリチュアルなエネルギーをチャージした状態でひらめいたことの中には、肯定的な「使えるアイデア」がふくまれているものです。そこから着想をえて、行動に移して、アイデアを形にしていく手ごたえを経験していくことですね。

その価値を実感していくと、自分にとって一番いいペースがわかって、適したサイクルが作られていくようになります。

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