人は多面体の存在で、誰の中にも「善」もあれば「悪」もあります。

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「性善説」という言葉があります。「人は、先天的に善を行う性質を有している」という考え方のことです。

たしかに、人は皆、基本的には善の性質をたましいの中に備えているものです。しかし、この世という学びの場所においては、善ばかりが出せないような状況に置かれることもあります。

この世というのは時間という制約があり、肉体という制限があり、思い通りにいかないことがたくさんでてくる学びの場所です。内面についても同様で、善を備えていても、うまくそれが出せなかったり、または出しても誤解されたり否定されたりと、いろんなことが起こってしまいます。

この世という場所では、たましいの中には善を有していても、「善の行動も、悪の行動も、してしまうことがありうる」ものなのです。

 善も悪もあるのが、多面体の「人」という存在です。

人は多面体の存在なので、善から悪までいろんな面を持っています。善をもっていても、ときに悪に覆われてしまうこともあるものです。誰もがそうです。自分もそうだし、他人もそうです。

その時々でいろんな「一面」が「前面」に出てくることになります。前面にでている一面が、相手の全部だと思ってしまうと、後ろにある複雑なものを見落としてしまうこともあります。または、自分の一面が全部のように誤解されることもあるでしょう。

自分も、自分以外の他人も、多面性を有しているもの同士ですから、いろんな面がぶつかりあうこともすれ違うこともあり得ます。

多面性がいろんなあらわれ方をする、この世という場所で、備えている善をいかに発揮していくかという難しい学びに、それぞれが挑んでいるのがこの世で生きる私たちです。

他人という存在を通して「善ではない部分」を見せつけられることも、自分も同様の要素を内包していることに気付くための、学びの機会なのかもしれません。

そういう形をとらないと、なかなか、人は自分のことには気がつけないものですから。お互いに、鏡となって映し合っているのでしょうね。

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