相手の反応や行動が、自分の期待どおり100%ではなくても。

人間関係は、お互いの間での「やりとり」があります。

してあげたり、してもらったり。

してあげたことを感謝されたり、してもらったことをお返ししたり。

そうしたやりとりの回数や量や思い入れの度合いなどが、ちょうどつり合うといいのですが、なかなか、そうはなっていかず、不安になったり不満になったりさせられますね。人間関係とは、本当にバランスが難しいものです。

してあげることを望む人は、自分が至らないと思い、相手に尽くしすぎ、

してもらうことを望む人は、相手が至らないと思い、相手に求めすぎて、

自分を、よい状態からむしろ遠ざけてしまっていることがあります。

どのような点からアンバランスが作りだされているかに気づき、やりすぎているところを控えめにして、自分をよい状態に近づけていくようにしてみましょう。

以下の2つのうち、自分のふるまいの「近いほう」を覚えておき、偏りすぎないように意識しましょう。生まれ持った性質によって、「そうなりやすいほう」は、だいたい決まっています。

 1,自分が「してあげること」にとらわれている。

「相手に、自分が何かをしてあげる」という方法のみが、好意の伝え方であるという思い込みをもっている人がいます。

どこまでも相手に尽くして、そして相手から期待どおりの反応(たとえば、喜んでもらうとか、お返しをしてもらうなど)がないと、「これでも、まだたりないのだろう」と、さらなる何かを相手のために行おうとします。

相手が思うとおりの反応をしてくれないのは、自分が至らないせいなので、さらに尽くして、相手の心に届けば、きっと期待どおりの反応を示してくれるはず、今はまだ、十分ではないためそうなっていないが、という思いをもっています。

つまり、期待する反応をしてくれないうちは、自分の好意は伝わっていない、十分ではない、だからもっとしてあげないと!という認識で、頑張りをさらに重ねようとします。

2, 自分が「してもらうこと」を求めすぎている。

「自分に、相手が何かをしてくれる」という行動のみが、自分が好かれていることの証拠だという思い込みをもっている人がいます。

自分が不満であるのは、相手が自分の望むとおりに接してくれないという、相手のせいであるのだから、どうにかして相手から望む形の好意(たとえば、親切にする、仲間に誘ってくれるなど)を受けとろうと、泣いたり、怒ったり、閉じこもったりして不満を示そうとします。

そうして相手が自分の不満に気づけば、相手は自分の望むとおりの好意を与えてくれるだろう、だからそういう形になるまでは、自分は不満をもつことはしょうがないし、不満を表面することも当然である!という認識をしているので、不満を手放すことができません。

やり過ぎると、頑張るほどに苦しくなる。

「もっと、相手にしてあげなければ!」と思い込みをもっている、前者に当てはまる人は、いつも疲弊していて、

「もっと、得られるはずなのに!」という思い込みをもっている、後者に当てはまる人は、いつも満足せず、

その状態がいつまでも続いてしまいます。

どちらも、「うまくいかせたい」ために、「自分が正しいと思っているその方法」をさらに続けることで、結果として、「うまくいかない状態を継続させてしまっている」のです。

まずは、「その方法をとり続ける以外の選択肢はないか」という考え方を意図的に行ってみることです。

押しても開かないドアを、さらに押すことはやめて、その場所から少し下がって、冷静になりましょう。かつての自分が立っていた位置をふくめた全体を眺めて「尽くしすぎていないか。求めすぎていないか」という点を、よく考えてみます。

すぐに答えはでなくても、一度、下がって冷静に考えるという姿勢が大事です。

そして、さらに以下のことを考えてみます。

①100%ではなくても、伝わっているし、示されている。

自分の期待したとおりの反応ではなくても、自分の行動が相手に伝わり、相手は感謝しているかもしれません。「伝わっているなら、こんなふうにしてくれるはず」という自分の思い描く反応ではないため、相手の示してくれていることに、自分が気づいていないだけという可能性もあります。

どこまでが伝わっているかというのは、相手の領域のことなので、相手にしかわかりませんが、まったく伝わっていないということは「まずない」でしょうから。

そして、このことも覚えておいてください。

好意を伝えるために、自分が相手のためになる何かを「してあげる」ことが必要だ、ということが、そもそも「思い込みが入っている」のです。特に何もしなくても、自分という存在自体が、相手の支えになることもあります。

②100%ではなくても、気づいてもらえているし、与えられている。

自分の望むとおりの好意のあらわされ方ではなくても、自分の存在はちゃんと相手に認識され、こうしてもらいたいという希望も、そうなっていない不安も、相手はわかっているかもしれません。

そして、相手は相手なりの気配りや好意を与えてくれているのだけれども、自分の望む形ではないために、相手がしてくれていることに、自分が気づいていないだけという可能性もあります。

どのように認識しているかは、相手の領域のことなので、相手にしかわかりませんが、まったく与えられないことも「まずない」でしょうから。

そして、このことも覚えておいてください。

相手が自分に何かをしてくれることが、好意的であることの証明である、ということが、そもそも「思い込みが入っている」のです。好意というのは、必ずしも行動にあらわされるとは限りません。そして、タイミングが今ではないだけで、過去や未来で、与えられたり助けられたりすることもあるでしょう。

特に何もしてくれない場合でも、相手という存在が「いてくれること」が、自分を支えてくれたり、刺激になってくれたりすることもあるのですから。

相手の反応と、自分の感謝や納得で100%に。

相手がどのようにそのことに反応するか、どのように与えてくれるかは、相手がその人自身の尺度で行うことです。

価値観はそれぞれなので、期待どおり、望み通りの形ではなくても、相手の示すそれを受けとめていけばいいですよね。

反応してくれること、与えてくれることに、自分が感謝や納得をもっていき、合計で100%にするという考え方もいいと思います。

自分の存在が間接的にでも役立っていることや、相手の存在が何かの形で自分の刺激となっていること、それは十分にありがたいことですから。

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