好かれたい目的で、嫌われないための行動をとってしまうことがある。

「人から、好かれる自分になること」と、「人から、嫌われない自分になること」は、似ているようですが、同じではありません。

「人から、好かれる自分になるため」のとり組みをしているつもりが、「嫌われないため」のとり組みに、なってしまっていることがあります。

こうしたちょっとの受け止め方の違いで、遠回りになってしまうことがあります。

「好かれる」と「嫌われない」は、同じではない。

好かれることと、嫌われないことは、重なる部分もあるけれども(そのため、混同してしまうのですが)方向性が同じではないのです。

たとえば「外出するのが好きになる」のと、「外出するのが嫌ではなくなる」のは違うように。

以前は嫌だったものが、嫌ではなくなって、出来るようになったととしても、必ずしも「好きになった」とは限りませんよね。

「人に好かれるようになる」ことと、「嫌われないようになる」ことも、それと構図が似ています。

「嫌われないためのとり組み」になっていないか。

好かれたいという思いがあるのに、そのための努力として、いかに嫌われないようにするか、という方向のとり組みばかりしてしまうことがあります。

自分のマイナスポイントを改善するとか、欠点を直して成長するだとかのとりくみがそうです。

短所や欠点のほうはわかりやすいという理由と、それが原因で嫌われていることが好かれない理由だという思い込みによるものです。

そうして、わかりやすいほうについフォーカスしてしまい、短所や欠点を直せばうまくいくだろうと思ってしまうのです。

目的と手段の、方向性が揃っているか。

しかし、これまで述べたように、よくよく考えてみれば、この二つは方向性が揃っていませんね。似ているところもあるけれども、一つにはまとまらない別の事柄です。

マイナスを改善するための取り組みは、いらないとか、しないほうがいいということではないのです。

また、嫌われないようにという考え方が、間違っているという意味でもないです。

目的と手段というセットで考えるときに、「好かれる」という目的のために、「嫌われないようなとり組みという手段」が、適さない場合もあるということです。

そして、そのことに気づかないまま、遠回りになってしまうケースが少なくないということなのです。

好かれるためには、好かれるようなとり組みをする。

嫌われないことが目的で、そのために嫌われない取り組みをしているなら(目的と手段がマッチしているので)それでいいですが、

好かれたいという目的で、嫌われないための取り組みを、無意識にしてしまっているなら、(目的と手段が微妙にマッチしていないことに)気づいて、見直すことが大事ですね。

好かれたいなら、好かれるための取り組みが必要です。

このことが具体的にどのようなことかを把握するのは簡単ではないです。

そのため、つい簡単なほうの、欠点を直すという方向へ意識が向かってしまうのですけれど、「好かれる」と「嫌われない」は、必ずしもイコールではないことを、まずは認識しましょう。

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