自分が思うほどには、他人は「気にしていない」もの。

自分は、他人からどう思われているのか、もしかして低くみられているのではないか、こんな行動をとったら相手は自分にどんな感想を持つだろうと、常に「他人からの自分へ向けられる視線を、とても気にしてしまう」人がいます。

そういう人はいつも緊張していて、いつも疲れています。

「低くみられないようにしないといけない」、「好印象につながる言動をとらなければ」と備える気持ちは、やることを多くさせてしまうからです。

その人自身が、気にしている。

「自分が、他人からどう思われているか」、「自分が、他人からどのような印象で見られているか」が気になる人は、「その人自身が、他人のことをよく見ている」人なのです。
他人もきっと、自分と同じように、こんなことが気になっているはずだという思いを持っているのですけれど、気にする度合いは人それぞれ、違いがあります。

誰もが「他人を気にしている」とは限らない。

多くの人が、自分の考え方や価値観が「普通」で「一般的」だと思っているものです。
「平均的な感性の世間の人は皆、自分と同じような視点でものをみているはず」と、なんとなく「思ってしまっている」とも言えます。

自分が、他人を気にしている度合いが大きい人ほど、他人もまた、自分の言動を同じくらいの度合いで気にしているハズと思い、自分がどう見られているかが心配になります。

しかし、世の中にはいろんな人がいるもので価値観はさまざまです。他人をとても気にしている人もいれば、ほとんど気にしていない人もいて、その平均をとるならば「あまり、気にしていない」人のほうが、実は多いのかもしれません。

少なくとも、自分が思うほどには、他人は、自分のことなど気にしてないものと、思うくらいが丁度良いでしょう。

知識として、そのことを理解する。

誰もが、自分の感覚で世の中を眺めてしまうものです。とても気にする性質の人に「他の人は、そんなに気にしていないよ」と言っても、なかなか実感がわかないものかもしれません。

ですので、心から納得できるところまではいかなくても、知識としてわかっておきましょう。
他人を気にする度合いも個人差があるります。

世の中の多くの人は、自分ほどには他人を見ていないし、自分ほどには気にしていない、というふうに、文章化して頭に置いておくといいです。

自分と同じ性質の人に、配慮の度合いを大きくする。

しかし、とても気にする性質の人は、頭では理解していても、やはり気になってしまい、わかっていてもそのように割りきれないことも多いでしょう。

そういうときには、世の中全員に対して気にするのではなく、「自分と同じ考え方をしている、似たような性質の人だけ」にフォーカスしたらいいと思います。

相手を気にしそうな人に対してのみ、自分の言動に細心の注意を払うという使い分けをするということです。

自分と同じように、他人を細かく気にする性質をもつ人は、似たような雰囲気なり言動なりがあって、なんとなく分かるものではないでしょうか。

そういう人達に対しては、普通よりも少し配慮の度合いを大きくしてみる。それ以外の人は、自分が思うほどには気にされていないものだ、という割り切りをもって関わっていく。

そうしてメリハリをつけると、少しは緊張から解放されると思います。

冷静に観察すると、わかってくる。

皆が同じ見方をしているわけではない、人それぞれ違いがあるということは、上記のような意識で眺めてみたり、配慮の度合いを変えてみたりすると、実際のところがよくわかります。

気にしているだろうという前提で眺めていたら、そのように見えてしまうようすも、そうではないかもしれないという前提をもつと、気にしていない人も多いことに気づくのです。

もっと楽にやっていこうと、思えるようになる。

こうして実際のところに気づくと、楽な気持ちになれます。

今までは、皆が自分と同じように気にしているハズと思うから、自分の見られ方も気になっていたけれど、中には、あまり気にしていない人もいるとわかってくれば、認識はかわりますよね。

もっと楽でいいんだと、自分は自分、他人は他人というふうにわりきればいいんだと、ここでやっと心からの納得ができて、力を抜くことができます。

他人を気にすることで、自分に緊張感が生まれてきちんとしようという意識を持つことができるけれど、そのぶん常に緩むことができずに、事実ではないことをいろいろ想像してしまい、気疲れしてしまうのがこのタイプの人なので、

少し力を抜いて,他人を気にすることに使っていた意識を、別のことに使えるようになると、もっと充実して、もっと楽に、この人生を歩んでいくことができます。

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