どこまで他人の力を借りるのか。

自力の大きい人は、思い通りにしたいので、何でも「自分ひとりの力だけ」で行うことを好みます。

それとは別に、他人の力を借りたいけれども、相手に気兼ねしたり遠慮したりしてしまうために、自分ひとりで頑張る羽目になる人もいます。

上記の2パターンのどちらも、そうしたくなる気持ちはわかるのですが、この世という場所は、お互いに助け合うことも学びのうちです。

力を借りたり貸したりする経験から身につくことがたくさんあるんですよね。

ひとりの力ではできないことに、他人の力を借りる。

自分ひとりの力では、できることに限りがあります。時間や労力の制限もありますし、知識や経験が少ない分野がありますし、得意でない分野のこともあります。

この世で生活をしていく上では、他人の力を借りる経験はとても大事な学びなので、そういう状況にあえて置かれることもあります。

経験のために「苦手を備えて生まれてきている」のが、不完全な存在である私たちです

頼み事が苦手な人は、その経験が学びととらえる。

この「苦手」なところに「頼みごと」が該当する人もいます。お願いするのが苦手、頼るのが苦手で、何でも自分でなんとかしようとして苦しくなってしまう人が少なからず存在します。

頼みごとが苦手な人は、「こういう場面なら、誰かにお願いしたほうがいいんだろうな」とか「複数で取り組めば、ずっと早く済ませることができるだろうに」と思っても、どうやって切り出せばいいのかがわかりらない、どこまでなら相手の許容範囲としてお願いしても大丈夫なのかがわからないと、躊躇すると思います。

どこまでが許容範囲かは、相手や状況により変わる。

「ここまで」という目安があったらわかりやすいのですが、それは相手によっても変わります。

たとえば、山田さんは「そのこと」が得意だから負担は大きくないけれど、田中さんはあまり得意ではなさそうだ、というふうに相手の性質が関係することもあるでしょう。

または、自分と相手との関係性によってもかわります。山田さんのことはよく知っていて、自分が頼まれる機会も多いのでお互いさまといえるが、田中さんはそれほどの親しさはなく、自分が頼まれた機会もないので負担になることはお願いできないな、というような違いがでてきたりします。

経験から、許容範囲の判断がつくようになるもの。

友だちの親しさは自分と相手により「それぞれ」変わりますし、親戚や家族のつきあいの密度も、ご家庭により違いがありますから、「友達ならばここまで」とか「親類なのだから、このくらいは」というようには、関係性の名称だけでは計れないのが難しいところです。

これらは、経験を重ねることで統計的につかめていくようになります。

いろんな経験をして、その共通点をだいたい把握することで、「このくらいまではお願いしても大丈夫かな」というのがわかってくるようになります。

お願いしたり、されたりするやりとりを重ねることで、「お互いに、このくらいまでは許容範囲」という了解が、自然とつくられることもあるでしょう。

他人が頼んでくることを、目安にするといい。

しかし、基準がまったく何もない状態からでは、経験を積むといっても難しいですから、「相手にどのくらいまで頼んでいいかの目安」は、他人が自分に頼んでくることを基準にしてみてもいいでしょう。

(自分と相手がほぼ同等の関係性である、という前提で)相手にこのくらいを頼まれるなら、自分も同じくらいを頼んでもいいのかもしれない、というふうに見当をつけながら動いてみるのです。

そして、相手の反応をみながら、必要があれば微調整をしていき、このくらいというラインをつかんでいくといいです。

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