ときには「力を抜く」という、よい方法に、怖れを抱く2つのケース。

ものごとにとりかかるときの、力の掛け方として。

「力は入れるほど素晴らしく、100%に近い力を出すほどに、結果に反映していうまくいく」……ような気がしてしまうものですよね。

けれど、実際にはそういう比例にはならず、力を入れて空回りになることもありますし、少し抜くくらいの力がちょうどよい加減となることもあります。

これまでの人生経験をとおして、このことは多くの人が知っています。また、自己啓発の本などでも、よくとりあげられる、おなじみのテーマでもあるように思います。

しかしそれでも、力を抜くことができない人はたくさんいます。根底に、力を抜くことへの怖れがあるのです。

力を抜いて、もしうまくいかなかったら、取り返しがつかないじゃないか」という怖れと、「力を抜いて、うまくいってしまったら、これまでの自分が否定される」という怖れです。

つまり、うまくいかないことを怖れているケースだけでなく(こちらなら、まだわかりやすいですが)、うまくいってしまうことを怖れているという、少々複雑なケースもあるのです。

1、力を抜いてうまくいかなかったら?という恐れ。

力一杯やらないと気が済まない、どうしても力を抜くことができない人がいるものです。

それは、力を抜いたとして、もしうまくいかなかったら取り返せないじゃないか、という怖れの気持ちがあるためです。

力一杯やってもダメなら納得がいくが、力を抜いてダメだったら「ああ、もっとちゃんと力を入れていれば」と悔やむだろうから、そうならないように常に全力で備えておく、全力で立ち向かうという姿勢をとります。

実際には、そうなることもあれば、そうじゃないこともあるとは、わかっているのです。しかし、「でも・・・、もし、うまくいかなかったら?」という思いがでてきて力を抜くことができません。

一見、この姿勢は理想的で素晴らしいように見えますが、しかし、力を抜けない緊張感がずっと続くとなれば、とても消耗します。

そして、力を抜くほうがうまくいくという、実際にはよくある状況に対して、柔軟な対応ができませんから、意外と成果の取りこぼしも出てきてしまいます。

2、過去の自分を否定してしまう、という怖れ。

中には、成果とは努力をして手にするべきもので、簡単に手にしたくない、というこだわりを持つ人もいます。

それで、常に、全力投球をしないと気が済まないのです。

そういう人は、「成果とは、努力と苦労の末に手にすべきもの」という確固たる価値観があり、それを守ることで「このパターンは正解である」と、自分を安心させたいのです。

自分をここまで進ませてきた、成功法則となるパターンを守りたいという気持ちです。「この方法でやれば、今後もうまくいく」というものを持っておきたいということで、逆に言うと、それが崩れてしまうことへの怖れがあるのです。

そういう人にとって、力を抜いて余裕を持つこともアリ、というやり方を採用することは、「これまで頑張ってきた過去の自分を、今の自分自身が否定する」気持ちになります。

これまでのパターンを崩すことには、そういう抵抗感がうまれます。

「これまでより、手順を少なくして簡単にできるなら、そのほうがずっといい」と望んではいても、これまでの成功法則を崩したくないですから、力を抜くことの効果や価値を認めたくないですし、試すことも「したくない」ということです。

本当は、心の底ではわかっている。

どちらのタイプも、心の深いところでは、わかっているのです。頭ではわかっていても、心が納得してくれないということなので。

自分のこだわりや恐れが、簡単な方法を選べなくしていることも、見方を変えると、「ちょっとだけ、自分を正当化してしまっている」ことも。

わかっているけれど、それを認めていけない、いろいろな感情がある、それあ人間というものです。

わかっていても、同じパターンを繰り返したくなる。

これまで自分を支えてきた成功パターンを、そのまま守っていきたい気持ちがありますから、「力を抜くことの効果」を認めたくない気持ちは常に、心の中からわきがってきます。

一生懸命に頑張ってもうまくいかないときに、本当は「ここでちょっと力を抜いたほうが、成果に繋がるのかもしれない」と頭をかすめることはあっても、

いやいや、ここでさらに頑張り続けて、その形で成果を出していけば、「ほら、やっぱり力いっぱい頑張ることは正しい方法だ」と、証明されて、肯定されるような気がして、同じことを繰り返したくなってしまいます。

消耗するまで頑張りたくなり、消耗してもなお頑張りをやめたくない、という気持ちになってしまいます。

しかし、やっぱり、わかっている。

しかし、本当は、ほとんどの人がわかっているのです。

そうした洞察力がない人は、頑張ることが自分の成功パターンである、という規則性を把握することが、そもそもできません。

規則性を見出して、頑張り続けることができている、ということが、「わかっている」という度合いの深さを、証明しています。

ただ、気持ちが抵抗を示していて、その反応を肯定したくなるのです。

怖れの気持ちは、そのままにするのがいい。

怖れとは、とても根深いもので、怖れをなくすための取り組みをするというのは難しいことです。

これは、なくそうとするよりも、認めていくほうがいいのです。自分の中に怖れがあり、これは抱えたままで、人生を進んでいくものだというふうに。

解消するために戦おうとしないことが、一番いいのです。怖れを含めて、自分の一部だというふうに、認めてしまうほうが楽になります。

その上で、以下のように考えましょう。

これまでのパターンと、新しいパターンは両立できる。

これまでの頑張りのパターンは、これまでの自分を支えてきた役立つ知恵でした。それは必要なことであり、正しいことでした。

しかし、必要なことも、正しいことも、たったひとつとは限りません。正しいことが複数あって、状況に応じて「ふさわしい正しさ」を使い分けても問題はない、ということです。

ここで新しい価値観を加えて、選べる選択肢に幅を出したとして、現実的に得をすることはあっても、損をすることはないのです。

問題があるとしたら、それは「自分の気持ち」という点のみです。

過去も過去として正しく、新しいものも新しいものとして正しく、両方を採用しても矛盾はしません。

また、矛盾したとしても問題はありません。それによって過去が否定されることもありません(自分がそうしない限りは)。

これまでのように、真面目に努力を続けることは、とても大切で必要な前提で、その上で、ときには心や体にゆとりを持つことや、ペースダウンをすることも、状況にあわせて取り入れていくといいのです。

そのほうが、メリハリがついて「真面目な努力が、より効率的にいかされていく」でしょう。

今までの価値観を丸ごと変える、のではなく、それをより活かすための工夫を加える、という受け止め方をしてみてください。

そのような意識の仕方になれれば、ちょうどよいバランスが見つかり、もとより努力を厭わない性質を備えているのですから、楽なほうに流されることもなく、ちょうどよいペースで行動していけるはずです。

あなたが、「楽なほうに流される」心配はない。

力を抜くことができない人、怖れを抱いてしまう人は、「一度、手を抜いてうまくいくことを覚えてしまうと、自分が流されて怠けてしまう」という怖れも、少しある思うのです。

真面目な性格の人は、そういう考え方になりがちです。

けれど、実際には、自分がそうはならないことも「本当はわかっている」のではないでしょうか。

そんな簡単に手抜きを覚える人でないからこそ、頑張り続けて進んできているのですから。

つまり、どのような方面から検討した場合でも、「大丈夫」だということです。頑張り続けていけるその真面目さを、よりうまく形にしていけるように、度合いを使い分けて、よい動きをしていくことを取り入れましょう。

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