嫁姑の関係は、校風の違う生徒どうしのようなもの。

女性同士の人間関係は、感情での横繋がりになることが多いです。友だちでも、親子や姉妹でも、ときには仕事の同僚でも、共感するという繋がりで親しくなっていくことが多いのが女性同士の特徴です。

共通点があれば、とても親しくなれる楽しみもありますが、一度こじれてしまうと修復が大変になるという、女性同士特有の難しさもあります。

このことは、嫁姑の関係でも同様です。

友だちならば、関係がこじれたら、一旦距離をとればいいですが、義理とはいえ家族となれば、そう簡単にはいきません。

仕事のつきあいなら、「これは仕事だからしょうがない」と、わりきることもできますが、そうしたわりきりをするには、関係が近すぎるんですよね。

友だちとも、仕事の関係とも、血縁の(実家の)家族とも違う、独特の距離感での、繋がりという難しさがあります。

実家の家族は、同じ学校に通う生徒同士のような関係。

スピリチュアルな観点からみた、血縁の家族(実家の家族)というのは、共通の学びの要素を備えて集まっている関係となります。

それぞれが、個別の学びの要素をもって、その場所で学ぶ必要性があるという共通点をもって、集まっているということです。

例えるならば、「学校の校風にひかれて集まってきた、個性の違う生徒同士」のような関係です。

たとえば、真面目な校風とか、代々の歴史を重んじているとか、それぞれの学校のカラーがあって、そうした雰囲気や伝統を好む人や、必要としている人が入学してくるようなものです。

家族同士でも、たましいは別ですから個性は違っています。しかし、同じ校風にひかれてきた人同士が、同じ場所と環境で過ごしていると、だんだんと思考や行動のパターンが似てきたり、お互いに影響されていったりします。

血縁の家族の場合、多少の「いろいろ」があっても、最終的には、お互いにわかり合える場合が多いのは、そうした共通要素が馴染んでいるためです。

義理の家族は、校風が違うものと思っておく。

結婚してつくられる「新たな家族」は、たとえて言えば、実家という本校からわかれた「分校」を、新たに作るようなものです。

実家と同じようにはいかないことは、自分も、パートナーもお互いにわかっていることです。新たなものを作り上げるためには、多少の苦労は「想定内」と受けとめていけるでしょう。

また、いろいろあっても、何とかやっていかなければ、という気持ちにもなるでしょう。新しい分校をつくること(結婚)は、強要されたのではなく、自分たちが決めたことですからね。

ここまではいいのですが・・・、問題となるのは、「新しい家族という分校」を共同でつくっている、「パートナー側の本校である、義理の家族」です。

自分の育った実家とは、校風がまったく違いますが、パートナーの本校ですから、揉めないようにうまくやらなければなりません。

実家のように、いろいろあったとしても最終的には収まる関係のようにはいかないので、「いろいろが、おこらないように」して、「いろいろがおこったら、何とかして収めていくように」して、相手側の校風にも、必要に応じてあわせていくことも大事です。

それでも何かしらの学びがあるから、関わりが用意されている。

スピリチュアルな観点から言えば、実家の血縁の家族は、たましいレベルでは、自分が「選んで」生まれてきています。

配偶者とつくる関係(結婚)は、大人である自分が、自分の意思によって「この人とやっていこう、と選んだ」ものです。

しかし、義理の家族は、そのどちらでもない、自分が選んだものではない・・・ように思えてしまうので、気持ちの上で、謙虚になれなかったり、うまくいかないときに不満が大きくなったりします。

しかし、義理の家族となる人達とも、何かしらの学びがあって関わりがうまれたのだと受けとめていき、お互いを尊重した関係をつくることが理想ですね。実際には、なかなか理想のとおりにはいかないこともあるでしょうけれど。

自分とパートナーは、気が合って夫婦になったとしても、お互いの実家の家族までもが気が合うとは限りません。生活習慣も価値観も違う人達と、家族となるのは本当に大変です。

だからこそ、いつの時代も、嫁姑問題は存在し続けています。

義理のつきあいのうち「嫁姑」だけが問題になるのは?

前述のように、義理の関係とは、校風の違う学校のようなものですから、馴染んでいる実家と同じようにはいかないのは当然としても、なぜ「嫁姑の問題」だけが大きくなるのでしょうか。

それは、家庭における細々とした雑務は、女性がになう比率が高いですから、両者の関わりがつくらやすいこと、そして、やはり「女性のほうが、感情的な生き物であるため」でしょうね。

事実としての事柄の問題よりも、その事柄によって引き起こされる感情が、こじれてしまうことが、「問題」に「なる」ということです。

お互いの立場からの見方は、それぞれ違うもの。

義母のほうは、若いお嫁さんの至らないところが、目についてしまうものです。その部分は、自分の息子が苦労することになると思うと、息子を助けたい気持ちから、もっとこうしたほうがいいと口が出てしまいます。

お嫁さんのほうは、義母はどうでもいい細かいあら探しをして、まるで自分をいじめているようだ、実家の母ならこんなことはないのに、と、必要以上に被害者モードになってしまったりして、溝が作られていきます。

見守ることと、尊重すること。

義母の側になる人は、「至らないところはあるかもしれないが、それでも、自分の息子が望んで迎えた人である」という受け止め方が大事ですね。

最初は上手くいかないことが、だんだんと出来ていくようになることで、そのプロセスで夫婦の絆が強まっていくこともあります。

スムーズにいったら苦労はないかもしれませんが、絆も深まらないこともあります。彼らのそうした学びのプロセスを、もどかしさを我慢して見守ることも大事だと思います。それが愛する息子さんのためにもなります。

嫁の側になる人は、大事な息子を取られたようなさびしい気持ちがある、義母さんの感情を分かってあげることですね。

感情に感情で立ち向かっても、この手の問題は解決しません。相手を打ち負かすことが勝利だというような、子供じみた考え方はやめましょう。

実家の親と同じようにいかないのは当たり前です。その点を持ち出しても、自分の正しさも相手の間違いも証明されることはなく、正当化もされないことを理解しましょう。

校風の違いを、尊重すること。

別の学校の、別の校風は、お互いにとって違和感があるとしても、それはそれで尊重することも大事なのです。

別のものを統一しようとすると、対立になります。それぞれの違いを認めていけば、揉め事になりません。

女性同士の、共感や感情で繋がる関係は、「同じ」ものを求める形になりやすいので、この点に注意することなのです。

本校の校風を尊重していくことで、分校の独自性を確保していくという考え方をしてみるといいと思います。

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