不安な気持ちが大きくなると、可能性を小さくすることもある。

何をするにも適度な備えは役立ちますし、必要です。

しかし、過度な備えは、自分を不自由にさせたり、可能性を狭くしたりしてしまうことがあります。

備えるほど役立つように思えますが、あまりに多すぎる備えは、プロセスを増やしてゴールを遠ざけますし、また、抱えすぎる重さが、進みを遅くするものなのです。

なぜ、「備えたくなる」か。

備えたくなるのは、不安だから、恐れがあるからです。過度に備えてしまうのは、不安感や恐れの気持ちが大きい人がそうなります。

もしも、こんな想定外のできごとが起こったら・・・「備えていなかったら、自分はどうなってしまうんだ」、という自分の安全が脅かされる不安だったり、「備えていなかったら、そんな自分は他者から批判を受けるだろう」と、自分への評価が気になってしまう人が、たくさんの備えをしたくなります。

「備える」気持ちが強くなると、持ち物が多くなります。

備える気持ちが強くなると、たとえば以下のようなことが起こります。

もしも出先で雨がふったら・・・と心配なので、折りたたみの傘をバックにいれて、

誰かが小銭を両替したいというかもしれないので、小銭いれに100円玉を10枚いれて、

もう着なくなったこの服だけれども、何かの機会にまた活用する機会がでてくるかもしれないし、流行が過ぎたけれども、またそのうち同じ流行がめぐってくるかもしれないので捨てずに取っておき・・・、

と、もしもを考えたら、どこまでもきりがなくなります。

「備える」気持ちが強くなると、プロセスを多くします。

備える気持ちが強くなると、後になって手間が増えないように、最初から、あのこともこのことも配慮した動きをすればいいよねとか、

出先で雨に降られてもいいように折り畳み傘を買っておかないと、出掛ける前には小銭を確認してから、というように、

配慮しなければならないことが多くなります。

やらなければいけないプロセスでもなく、省けないプロセスでもないものに、追い立てられて、常に忙しくさせられてしまいます。そうしているのは自分の恐れであることに気づけるかどうか。そこが大事ですね。

適度な備えが一番。その範囲を決めるとよい。

適度な備えは大切です。しかし、過度な備えは、持ち歩くものを増やし、所持するものを増やし、プロセスを多くして、可能性を小さくしてしまいます。

いろんな意味で、もっているものが多いと、とっさの動きがとれませんし、柔軟にもなれません。

備えるということは、抱えるものが多いという重さをつくります。重さがあると、途中で方向転換も簡単にはできず、よいチャンスがあってもそれにのっていけないケースがでてきてしまいます。

備えが過度にならないためには、あらかじめ「必要な備えの範囲」を決めてしまうことです。そしてそれ以上の備えには、メリットもあるとしても、その逆もあり、トータルでみていくことが大事だととらえていき、自分を軽くしてあげましょう。

そうすると、備えを減らすことの不安はでてくるかもしれないけれど、その分の「軽さ」が手に入ります。

軽快感は、爽快感になります。おそらくは、幾らかの不安もあるけれども、それ以上にスッキリした気持ちになれるはずです。

不安が大きい人ほど過度に備えたくなるというのは、備えることの重さが、重量感になって、安心に繋がるからです。しかし、重さゆえに身動きがとりにくくなり、可能性を小さくしてしまうこともときにはある、ということです。

備えることは悪くはないのです。過度になったら自分を制限してしまうというだけで、適度であればOKです。

どのくらいまで備えるかを決めて、それ以上に備えなくても大丈夫と、自分に言いきかせましょう。

現代という今の時代は、とても便利で安全です。

過度な備えはなくてもなんとかなります。そのように考えましょう。

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