人との関わりという経験は、自分を鍛えてくれて、肯定感を与えてくれる。

この世という場所は、人との関わりから学ぶ場所です。「自分」と「自分以外の他人」という区分けがはっきりあることで「比較」ができて、その差から自分のことがよく分かったり、相手のことが推察できたりするものです。

ちなみに、この比較という感覚は「時間」が作り出すもので、時間という概念のないあちらの世界では、こちらのような比較からの認識ができません。その学びのために、私たちはこの世という場所で経験を積んでいるのです。

人との関わりは、負担は大きいもの。

誰にとっても、自分だけでいるほうがずっと楽ですよね、笑。興奮や刺激は少ないかもしれないけれども、煩わしさもありませんし、誤解される心配もなければ、気配りをする必要性もありませんから。自分と違う価値観をもっている、他人との関わりというのは、どうやっても何かしらの負担は発生します。

しかし、得られるものもまた、たくさんあります。人と関わることで、自分だけでは気づかなかった価値観を知ったり、新たな情報を得られたりして、自分の器を広げることができます。

そのことは、スピリチュアルに関心がある人なら、そんなに理解は難しくなく、頭では承知していることだと思うのです。

ですが、誰にとっても「得られていることは普通」で、「消費していることは負担」と感じてしまうものではありますので、きっと人間関係においても負担のほうが目立って感じられ、得られているもののほうは、意識してそういう考え方をしないとなかなか気づきにくいものかもしれません。

自分にとって負担となるという思いのほうが「違和感」として感じやすいのが、この世のしくみでもあります。

人との関わりには、喜びがある。

そういう大変さがあるのに、それでもなお多くの人は「人との関わり」を求めます。完全に人との関わりを断ちたいとまで思っている人は少数でしょう。

その理由というのは、人と関わりを持たないと、いろんなものごとが成立しないという現実もあるでしょうし、さらに、やはり「関わりの中には、喜びもあるから」という点が大きいと思います。

単純な「楽しさ」は、自分だけでも簡単に得られます。

ですが「喜び」という表現であらわすような感情は、自分ひとりでは得られにくいです。楽しさよりも、もっと深くしみいるものを指す表現だと思います。

喜びとは、自分の存在が肯定されたような、満足感を得たときにわき起こる感覚ではないでしょうか。他人と関わり、自分が誰かの役に立ったと思える満足感は、大きな「喜び」だと思うのです。

楽しさというシンプルなものを核として、もう一層がさらにコーティングされたような感覚で、そのもう一層というのは、自分からすると達成感や満足感で、外から得られるものとしては感謝や評価です。

喜びが幾重にもコーティングされると、自信になる。

喜びが重なると、人は自分という存在を肯定できる気持ちをコーティングしていくことになり、守られている安心感になったり、不安定感の解消になったりするのでしょうね。

自分という存在が、何かや、誰かに対して貢献できたという思いや事実は、自分がここにいるという存在感を示すことであり、ここに居ていいんだという安心でもあり、ここでやっていくという意欲にもなり、そうして幾重にも自分をコーティングして強くしていくことができます。

どんな状況になっても揺らがずに、自分を信じていられる人というのは、そうしたコーティングが厚くて安定しています。

喜びは肯定感となり、肯定感が重なった状態は、自信ということなのだろうと、そう思います。

人との関わりは、自分を強くしてくれますね。

負担を与えることで、強くしてくれている、・・・筋トレみたいなものでしょうか笑。

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