スピリチュアルな生き方とは、霊的に「現実を生きていくこと」。

スピリチュアルという言葉は、「たましいの」とか、「霊的な」というような意味をもちます。

つまり、スピリチュアルな生き方とは、「霊的な生き方」をすることですが、この言葉の理解が、誤解されていることが多いような気がします。・・・といっても、これが正解といえるような決まった定義も存在しないのですが。なぜなら、「スピリチュアルである」「霊的である」という言葉の解釈は、とても広いものがあるからです。

広い意味でいえば、すべての行為が霊的である。

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人は、肉体をもった霊として、この世で「今回の人生という経験」を通して学んでいます。まず、このことを前提に理解を進めていくことが必要です。

スピリチュアルというのは、不思議現象を表す言葉ではなく、願いを叶えるための便利な方法のことでもありません(それらも一部、含まれるとしても、それがすべてではありません)。

人が、肉体をもった霊として、この世で経験するできごとを、霊的な法則で解釈していくならば、

スピリチュアルという言葉には、この世のすべてが当てはまるとも言えます。かなり広義の意味でいえばそうなります。

この世という場所で、それぞれの学びに挑んでいる。

人は皆それぞれ、たましいの個性を備えています。誰もがオリジナルな存在です。

しかし、この世という場所での社会生活では、その状況におけるさまざまなルールがあり、それらをまったく無視して自分のオリジナルを貫いて過ごすことは不可能です。

「個性という独自の事柄」と、「社会生活という共通した事柄」とが、交差していく中に、それぞれの人生が織り成されていきます。

この制限のある社会の中で、いかにして、自分の個性をうまく発揮しながら、心豊かに過ごしていくか。

そうした認識をどのくらい持って過ごしているかは個人差があります。しかし、表面の意識とは別の、深いところにあるたましいレベルの意識では、皆がたましいの目的に向かっています。

現実の生活に根ざした、スピリチュアルを。

スピリチュアルな生き方というのは、たとえば前世だとかオーラだとかに、とらわれることとは違います。

たましいという永遠の存在が、今回の人生という、限定された時間を過ごすにあたり、いかにして、自分のたましいを磨き上げていくか、現実的なできごとを通して(それらを否定することなく、軽んじることもなく)気づきをえていく生き方のことです。

霊的なしくみを理解することは学びに役立ちますし、とても大切なことではありますが、しかし、霊的に崇高であるべき、こうであらねば、という意識が強すぎても、現実や事実に基づかない「スピリチュアルのための、スピリチュアル」になってしまいます

そうした姿勢は、一見、とても望ましく理想的に思えてしまうかもしれません。しかし、それでは、「人として」この経験を与られている機会を活かすことにはなりません。

スピリチュアルとは、特別なものではないのです。

目に見えないことのみを、殊更に敬うことでもありません。

こうでなければ該当しないとか、こうであればスピリチュアルであるというような、狭い範囲のことではなくて、もっと広い意味での、現実の中に自分の学びを見いだして成長していく生き方、それが「スピリチュアルな生き方」であり、「スピリチュアルな、人としての在り方」ではないでしょうか。

そういう前提がなければ、簡単に偏って流されてしまいますから注意が必要です。

現実に偏らず、そして、霊的にも偏らず。

スピリチュアルな事柄を、自分の思い通りに人生を運ぶための便利な手法ととらえてしまうと、あまりに物質的な方向へ意識が偏ってしまいます。

しかし、そうかといって、「霊的な成長を、せねばならない」「物質にとらわれずに、霊を意識して崇高に生きるべき」と、意識し過ぎても、今度は逆に、霊的価値観に偏ってしまうこともあります。こちらも違う意味でバランスがとられていません。

スピリチュアルな生き方とは、もっとシンプルなものです。

難しさと深さはありますが、ああしろ、こうしろと強要されるようなものではないし、スピリットが干渉して主導するような生き方でもありません。

私たちは霊であり、たましいを備えている永遠の存在でありながら、この世の人生という限りある時間を生きている、儚い存在でもあるのです。

その前提で、自分が、自分の人生をどのように運ばせていくか、そのことが大事であり、そうした生き方を重ねていく中に、学びがあるのです。

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