人としての「器」が、たましいの成熟度をあらわしている。

すべての人は、たましいの存在です。何度もこの世に生まれてきて、状況や立場を変えた経験を重ねることで、たましいの成長を目指しています。

幾つもの人生という経験の中で、わかることが増えて、培われた知恵が蓄積されていきます。そうした繰り返しの中で、たましいが深みと厚みをまして、成熟した状態となっていきます。

経験値が、深まりをつくる。

たましいの成熟度を決めるのは、まずは「経験値」です。この世な尺度でいうと経験の「数」や「量」、つまり人としての人生を過ごした回数や長さなどです。さらに、経験する状況の「バリエーション」が多いほど、知識も知恵も多くなっていきます。

たとえば、「5回の人生を、男性という性別でのみ過ごしているたましいの人」と、「10回の人生を、いろんな性別で、いろんな国や地域で経験しているたましいの人」がいるとしたら、後者のほうが経験値が多いですから、深みと厚みがある人となるでしょう。

たましいの深まりは、「人の器」の深さでもある。

そうした深みとは、言い換えると「人としての器」ということです。器が大きく、深い人になるということです。

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この世とう学びの場所では、「それぞれが備えている、器のサイズに見合った学び」をしていくしくみですから、

器が大きくなれば、目的として挑むものが大きくなったり、達成までの難易度が高い学びを選んできたりするようになります。

備えている器よりも、極端に大きい(難しい)学びを抱えることもなければ、小さくて手ごたえのない学びを抱えることも、基本的にはありません。それぞれに「ふさわしい度合い」の課題をもって、この世にやってくるのです。

たましいの成熟度をはかるとしたら、「その人が備えている、人としての器」の大きさや深さがそれを示すと言えます

人の器とは、目に見える形を持たないため物理的な把握はできませんが、その人の言動や姿勢といった普段の「行い」の中に、それは自然とあらわれていくものではないでしょうか。

「もしも、器が目に見えるものならば、きっとこの人は大きい器の人だろう」と思わせる人はいますし、そうした想像は、スピリチュアルな感性が平均よりも高い人(スピリチュアルに関心が深い人は、ほとんどが該当します)にとっては難しくない行為だと思います。

器が大きい人の言動は「含蓄」を感じさせます。表面の言葉や行動よりずっと深い何かが含まれていて、印象深さをあたえます。

そういう人の発言を聞いたり、行動の様子を見たりすることで、「こういう場面では、こうすればいいのか」と知恵を得る人はたくさんいることでしょう。

手本となる、模範となる役割を担うこともある。

器が大きい人は、そうした自分の姿勢を他者に「見せること」もまた、この人生においての与えられている役割となります。

自分が望んでいなくても、人の前に出ていく役割がたくさんまわってきて、引っぱり出されてしまうケースもあるようです。それも、「器にみあった学びの、バリエーションのひとつ」なのでしょう。

周囲と比較してみて、どうも自分だけ負担が大きい状況になるのはなぜ?という気持ちになるときは、人としての器を培ってきたという、これまでのたましいの経験(があるんだな、ということを。詳細はわからなくても)に、誇りをもち、「自分ができることを、できる範囲で体現していこう」という受け止め方をしてみてください。

器に見合わない無理なことは、与えられないものです。そして、無理をしてでも成すのがいいということでもありません。そうした度合いを計ることも含めての学びです。器が大きい人ほど、自分で度合いを計って判断しなけばならない状況が多くなりますが、自分を信じて行動していくことです。

そうして日々を過ごして、人生を前進させていくうちに自然と、自分の学びというのは「これ」なんだなと、腑に落ちる瞬間がやってくるものですから。

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