「占い」についての、スピリチュアル的考察。

一般的に「占い」といわれるものについての考察です。

占いは、たくさんのデータを元にした統計として、「Aというパターンに当てはまる人は、Bという素養をもっていることが多い」という規則性を提示するものが多いですよね。たとえば「春生まれの人には、このような特徴がみられます」というような。

こうした関連性については、「統計だから、大枠として当てはまる」と受けとめる人もいれば、「統計は統計であって、個別に当てはまるわけがない」と受けとめる人もいると思います。

6530377 - palmistry, fortune telling with lines on hand

統計だとしても、そのことに価値がある。

統計として使用するデータを集めるのは、ある意味、単純な作業であり、そんなに難しさはないはずです。けれど、集めたデータから、共通性を見いだしたり、規則性を見つけたりすることは・・・改めて考えてみれば、そんなに簡単なことではないですよね。

たとえば、自分の目の前に膨大な資料が置かれて、「さあ、これらの中から、複数にあてはまる規則性を見つけてください」と言われたとしても、そんなに簡単に発見できるものではないですよね。

規則性を見つけるには、そのことに秀でたセンスが必要です。まず何かの、きっかけとなる着想があって、「この件には、こんな規則性があるのではないかな」と考えて、それが正しいかどうかのデータを調べて、着想の裏付けをとっていくという動きとなると思います。

規則性を見いだすセンスがある人が、まとめた資料には、叡智が含まれている。

そうした種類のひらめきが得られる人で、なおかつ、複数のものごとから、規則性を見つけるセンスがある人が、占いに必要な「元資料を作ることができる人」ですしょうから、センスが高い人がまとめた統計であれば、相応に役立つものはふくまれているのではないでしょうか。

当たるか、そうでないかという○×とは別の、「深い何か」があるようにも思うのです。それを、皆が占いの資料として活用しているだけであって、大元のものは占いと用途を限定しない、広くて深い叡智が含まれているのかもしれないな、と。

ただ、どちらにしても、人生のすべてが前もってきめられていることはなく、仮に100歩譲って、決められていたと仮定しても、その全部を、私たち人間の感覚でとらえることはできませんから(ここはスピリチュアリストとして、断言します)、

人生という壮大なものの、ごく一部分が「こうなりうる」という可能性を含んだ見解だという前提で受けとめていくことが大事かなと思います。それは、占いに限らず、すべてに言えますね。

無意識に、スピリチュアルなセンスも使っている占い師さんも多い。

占い師として長く活動している方は、統計上の元資料を「型」として活用しつつも、その人自身のスピリチュアルなセンスを、何かの形で(ときに無意識に)いかして、活動していることが多いように思われます。

そうでないと、占いという「型」だけでは、長く続けていけないのではないかな、と。長くやっていられるということは、支持されるものがあるということですから。

統計としての「型」に含まれている、(それを体系化した元祖となる人の)センスと、占い師自身のセンスという掛け合わせによって、「当たる」とか「参考になる」という状況が作られていくのだろうと思っています。

スポンサーリンク

シェアする

  • このエントリーをはてなブックマークに追加