憑依されると、自分の弱いところが干渉されて極端になる。

人は、「身体という物質を伴った、霊的存在」であると、スピリチュアリズムではとらえていきます。そのため、実は、あらゆる霊的な事柄と関わりながら日々を過ごしているものです。そのことを、あまり意識する機会はないものですが。

霊的な存在ですから、霊的な事柄をキャッチして反応するセンサーが、備わっているからです。

たとえば守護霊からの関与もそうですし、前世などの、たましいの要素からの影響や作用もあります。ありがたくないことではありますが、未浄化な霊と引きあって、いわゆる「憑依現象」なども該当します。

誰もが、小さい憑依は日常うけているもの。

人は、霊的な性質をもっていますから、霊と感化しやすく、実はプチなものも含めれば、誰もが日常的に憑依されているものなのです。

ただし、そういうケースは、憑依という表現をするまでもない「普通にあり得ること」ですから、あまり語られることはありませんし、実際、そんなに心配しなくてもいいことです。

しかしときには、プチではない憑依が、起こってしまうこともありますね。何か、その人にとってバランスがよくない状態であるとか、ネガティブなほうに意識が向きがちであるとか、疲れや負担が大きいなど、幾つもの要因が重なれば、同じ要素をもつ未浄化な霊を引き寄せてしまうことはあり得ます。

憑依されると、具体的にどうなるか。

憑依が起こると、実際にどのようなことが起こるのかというのは、「人により違う」ものですから、「憑依されると、必ずこうなる」というまとめ方はできません。

ですから、「このような事象を伴えば、憑依されていることになる」という逆からの当てはめ方もできません。

比較的多い現象として、こういうケースがありますよ、という幾つかの例えを上げることはできます。たとえば急に発熱する(私はそのタイプ)とか、眠くなるとか、言動が不安定になる、過剰に悲観的になる、怠惰になるなど、態度が極端になることがよくあります。

ですが、そうなったらすべてが憑依ということでは勿論ないですから、憑依という非日常の要素は時にとても刺激的に感じ、それと結びつけたくなってしまうことがあるものだけれども、冷静になることは大事です。

弱いところが、増幅されてしまう。

実際の出来事としてのあらわれ方は、「人により違う」のですが、「あらわれ方の規則性」は存在します。「その人の、弱いところにでる」ということです。

普段からメンタルが弱い人なら、メンタル面に、体力がない人なら、身体の状態にあらわれることが多くなります。

こういう場合、その人の弱いところ=ウイークポイントが、憑依している霊と引きあっていると考えられます。

もとから、そのことへの耐性=器が小さいところに、同じ要素が外からさらに加えられるようなものですから、受けとめきれずに、不調和が引き起こされやすくなります。

影響されにくなるように、改善するには。

改善するには、「弱いところを、鍛えて強くする」ことを、おそらく多くの方が、まずはイメージすると思います。

それも大事なことですね。現状よりも少しでも向上させるという意味では効果的です。

ただし、限度がありまして、やればやるほどどこまでも向上していき、いつかまったく平気になる時期がくる・・・とまではいかないものです。弱いところもまた個性として備わっていることですから、自分比での向上や改善はあっても、優れている人と同じレベルにまでは、なかなかいかないのが現実です。幾らかでも向上して改善したら、そのことをよしとして、あとはなんとかうまくやっていくという現実的な判断も大事なことなのです。

むしろ、弱いところに「頑張り」という負荷を掛けすぎても、バランスが乱れやすくなるだけにおわることもありますから、元の器を考慮しながらの取り組みがいいでしょう。

実際、私も、スポーツクラブにいくようになって筋力が(以前の自分比では、ですが)ついてきたら、格段にマシになりました。

しかし、弱いところを、弱くなくするというのは、備わっている個性である以上、難しいです。そこまでは期待しないで、わりきっていくほうが現実的です。

人は霊である以上、まったく霊からの影響をうけずにいることはできず、憑依も完全に防ぐことはできません。なるべくそうならないように、極端にならないように、自分の状態を整えていくことの積み重ねです。

自分の弱いところを知っておくこと。

そして、自分の「強いところ」と「弱いところ」、自分を知っておくということも大事だと思います。

たとえば私なら、体力がないという弱いところを知っておくと、体力をつける取り組みで幾らかでも底辺を上げることができますし、行動の量を少なめにして疲れがでないようにする(体力がないので、疲れが大きくなると、そこでまた憑依されやすい状態を作ってしまう)などの工夫をとることができます。

憑依が起こったとしたら、そうなった「きっかけ」はあるものです。○○に出掛けたときにそうなったとか、○○さんに会ってからそうなったとか。

でもそれは「きっかけ」にすぎず、そうなる「元」は自分の中にあるということです。それを認めて、自分の強いところをいかし、弱いところをカバーしながら、バランスをとっていくことも、学びのうちですね。

外からたされたものは、取り除くことができても、元から自分の中に備わっているものを省くことはできませんからね。それを含めての自分であり、弱いところは誰にでもあり、それが悪いということではないからです。

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