まいた種が、実るまでには「時間」の経過が必要です。

カルマの法則とは、スピリチュアリズムの大原則ともいえる、「原因と結果が、結びつくしくみ」のことです。

自分がまいた種が、何らかの形で、自分のゆく道に実るという、このしくみがあるからこそ、この世という「自分以外にもたくさんの人がいる場所」で、「自分に必要な学びを経験することができる」のです。

まいた種は、必ず実るしくみがあります。

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自分がしたことは、いつか自分の人生において、何かの形で実るという「しくみ」は確実です。

しかし、それが具体的にいつ頃にどのような形でというのは、私たち人間には、はっきりとわからないようになっています。

この世で人に与えられている人生の時間は、そう短くはない、数十年という十分な寿命があるとはいえ、有限のものですから、

いつ頃に実りがえられるかと、焦りが生まれてしまうものです。

時間という変化があり、人生が有限であるというしくみは、私たちに不安や焦りを与えるものなので、そうした感情を抱くことは誰にでもあります。

まずは、種をまくことが必要。

実りを得るためには、そのための種をまく「行動」が必要です。

そして、水をやり、さまざまに手を掛けて育てていくというプロセスがあって、収穫ができる時期が来たら、ふさわしい形で実りを収穫することができます。

種をまくと、未来の実りに期待する気持が大きくなります。たくさん水をあげて、世話をして・・・、一日に何度も観察をして・・・、少しでも早く成長して収穫ができる時期が早くきてほしいと、焦りが生まれるものです。

しかし、現実の植物の育成でも、種が実る迄にいくつかの季節がめぐるという、時間の経過が必要ですよね。同様に、実りを得ようと、種まき的な行動をとった場合でも、形になるまでには、相応の時間は必要となります。たくさん手を掛ければスピードが早まるとは、・・・必ずしもいかないようになっています。

この世の学びは、「時間という経過」を経験することでもある。

私たちが生きている、この世という場所には「時間」が存在します。これはこの世特有のしくみであり、あの世には存在しない感覚です。

時間が存在するこの世という場所で、種をまき~実るという、一連の流れが展開しているわけですから、熱意や意欲や手間をどれほどに掛けても、それなりの時間がかかることは変えられません。

努力や工夫によって、掛かる時間を幾らかは短くできるとしても、本来は1年かかるところを、一ヶ月に凝縮するようにはいかないことは、日常で関わっている別の事柄に置き換えていけば想像がつきますね。

どんなことも、この世で、ものごとが実るという、一定の形をとるまでには時間が必要となります。すぐには成果が出ないものだという受け止め方で、焦りから抜け出しましょう。

焦らずに、すべきことを重ねていく。

早く実りを得ようと焦ってしまうと、たくさん水をあげて、たくさん世話をしたくなりますが、しかし、必要以上に水やりをしても、根ぐされになることもありますし、労力を費やした分だけの物理的な(自分が想像するような)成果が出ないと、イライラにもつながり、空回りになることもあります。

必要な努力を続け、そして結果を楽しみにしながらも、過度にこだわることなく委ねる気持ちで、そうなるにふさわしい、収穫の時期を「焦らずに、待つ」ことも、この世という「時間」が存在する場所での、学びの一環といえるでしょう。

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