悲観的なのも、楽観的なのも、生まれ持った性質です。

悲観的に考えるタイプの人がいますよね、ちょっと悪いほうに想定しておき備えたいような、いろいろ先回って心配してしまうような、慎重な思考や行動が習慣になっている人です。

一方、とても楽観的に考えるタイプの人もいます。悪くなる想定をあまりしない、備えておくという考え方をしない、なんとかなるという考え方で、すべてに大きく構えていたり、またはあまり深く考えていなかったりします。

これはどちらも「そういう性質である」というだけで、良い悪いという区分けはないのです。悲観的な人が、楽観的な人のように変わるべき、というのもありません。そういう考え方は大きな誤解です。

どちらも、生まれもった個性のひとつ。

15125199 - a little pixie with a lantern sitting on a moon of stone

人の性質というのは、生まれ持った要素が大きく、どちらであっても「そういう個性をもって人生を過ごしていくことがが学び」です。

変えようとする性質の事柄ではないし、そう簡単に変えることもできません。

自分が備えている性質が、自分の人生の運びスムーズにさせていないならば、生まれ持ったものを、マイナスに発揮させなければいいだけなのです。プラスの方向にいかすようにすればいいんですよね。

備えているそのものが、正しいとか優れているとか、そうでないというとらえ方は偏っている解釈です。

要素は要素であって、それ自体に優劣はありません。どちらもそれぞれ、メリットもデメリットもあります。

この性質だからこそ、有利になる部分があるはず。

悲観的な人を例にとって説明します。自分の解釈として、「悲観的でいるのは損をするおんで、自分を楽観的に変えたい」と思っても・・・それは無理な取り組みになってしまいます。そして、悲観的であることは別に悪いことではない、という理解の仕方も大切です。

悲観的になりすぎて、ものごとを複雑にして混乱させることには気を付けなければなりませんが、悲観的だからこそ慎重になれるというメリットもあります(楽観的な人は、それができません)。

自分の優れていること、得意なことは、「自分にとって、呼吸のように普通のこと」なので意識していないだけで、実は、その性質に助けられていることも少なくないものです。

「でも、楽観的な人って、好かれることが多いじゃない。ああいう人が羨ましい」と思うとしたら、それは「ほどよく楽観的な人だから、好まれる」のです。極端なまでに楽観的な人は、大人の社会で浮いてしまうことも多いのではないでしょうか。

悲観的なところから生まれる慎重さが、好まれたり重宝されたりすることも、多々ありますよね。楽観的な人のような、わかりやすい好まれ方にならない、というだけで、評価されていないわけではないのですから、自分の性質を否定せずに、それをどのようにプラスに活かしていくかを考えていくとよいと思います。

説明を必要とするか、そうでないか。

なぜ悲観的な人を例にとり、楽観的な人のケースを説明しないかというと、楽観的な人はこういうことをあまり気にしないからです。言葉での解説での納得をそれほど必要とせずに、自分のそのときどきのフィーリングで前進していくことが多いです。

こうした説明で、解釈を自分に根付かせるというプロセスがあって、その上で行動をとっていく慎重さは、悲観的なタイプに多く備わっている性質です。

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