大人の「いじめ」問題は、現実をはかりながら改善をしていく。

「いじめを、なくす」と、言葉で言うのは簡単だけれども、そのことを実際に推し進めていくのはとても難しいです。大人の世界でのそれは、子どもの人間関係とは違う、利害関係がからんでくるので、それはもう複雑になります。

この世には、いろんな性格の、いろんなたましいの段階の人が同時に学んでいます。 人の数だけ、自分と違う性格の人がいて、一緒の場所で社会生活を営んでいるのだから、多少のことは「いろいろあるのが当然」という受け止め方も必要になってくるでしょう。

そういう意味では、「いじめが存在する世の中を、変えていく」取り組みも大事だけれども、「いじめが存在する世の中で、いかにしてやっていくか」という、切り換えをすることも、必要なのかもしれません。

大人の人間関係は、力関係や上下関係が複雑。

個性や価値観の違う人が、数人集まれば、そこに対立や行き違いは幾らかは起こるものです。いじめとまではいかなくても、スムーズにいかない人間関係はたくさんあります。

子どものいじめも大変な問題ではあるけれど、その事実を把握したならば、力や立場で勝る大人が諭したり管理したりすることができます。親や先生がうまく捌いてくれたら、それで収まることもあります。

しかし、大人の社会のいじめは、利害が絡むこともありますし、力関係・上下関係の構図が複雑なので、子どもと大人のようなわかりやすい上下の関係が存在しないため、解決の糸口を見つけにくい場合があります。ここが難しいです。

たとえば仕事上での、指導といじめの境目はどこにあるのかという点など、明確には示せないですから。

子どもが、いじめの事実をなかなか言い出せないのは、まだ小さい子どもなりにもプライドがあるためだと思います。他にも理由はあるとは思いますが、恥ずかしいとか、迷惑を掛けたくない(負担になりたくない)とか、いろいろあります。

子どもでもそうなのですから、大人ならばなおのこと、自分がいじめにあっている、というのは、言いにくいものです。自分がその対象になっていることを認めたくないものです。

また、「誰に」言えばいいのか、という問題もありますよね。子どもなら、年長者の誰かに言うことができるけれど、大人の場合は、上司がその相手というケースもあるかもしれませんし、「私、いじめにあっています」なんて言ったら(たとえ、それが事実だとしても)、そういうことを自分でうまく解決できず、他人に解決してもらおうとしているのかと思われたら・・・と、そういうことも気になるはずです。

そして、誰かに事実を相談することで、話が広がってしまうなどして、ますます自分が不利益を被るのでは、という恐れもあるでしょう。

大人のいじめは、仕事場で起こることも多く、生活が直結していますから、どう解決をはかったらいいのかが本当に難しいです。

そうした複雑さのある問題ですから、「このように対応すればいい」というような一律の方法をお伝えすることはできませんが・・・、

「我慢して耐えるか、それとも真正面から立ち向かうか」というような、100かゼロかの二択以外にも、その中間に、いろんな度合いの方法を考えることはできると思います。

悪者を特定して、態度を改めてもらうことで解決とは、いかないこともあるのが大人の人間関係です。そこはしっかり理解した上で、どう動いていくかを決めていくことが「自分のため」に大切です。

一昔前から比べたら、会社内に窓口がつくられるなどして、声をあげやすい環境も少しずつは整ってきていますから、そういうことも考慮にいれつつ、解決を探っていくというのが現実的になるかと思います。

この世という場所は、いろんな性格の人がいて、物質があって、金銭があって、競争や比較がありますから、スムーズにいかないことはたくさんありますね。

その場所を(たとえば職場を)去ってもいいなら解決の方法はいくらでも探せるでしょうけれども、そうはいかない場合は、現実の置かれている状況をふまえて、自分の今後をどうしていくのがいいかという点も含めて、考えていくことができたら一番いいですね。しかしストレスいっぱいなときは、なかなかそこまで考えられないこともありますから、身近に相談できそうな信頼がおける第三者がいてくれたら、一番いいのですけれど。

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