相手を尊重して、遠慮しすぎるのも、人間関係を難しくする。

常に相手の思いを尊重し、自分は控えめにしたり主張をしないように気配りをして、間違っても自慢になったり出過ぎたりしていることはなく、嫌われる要因は存在しないはずなのに、

なぜか思うような反応や評価を得られない、と悩む方は少なくないのです。

そういう場合は、遠慮し過ぎ、控えめすぎるところが、不調和をつくっている可能性を考えてみてください。

丁寧にしすぎても、プレッシャーを与えてしまうことも。

一般的に、日本という調和を大事にする国では、個人的な主張が強すぎる人は叩かれることが多く、控えめな人が、大人だとか、わきまえているというふうに評価されることが多いですよね。

そのためか、控えめであるほどよい、わきまえている自覚を言動にあらわすほど相手に伝わって評価されるはずという思い込みとなり、本人にはそんなつもりはなくても、少々やり過ぎになっていて、むしろ「そこ」が相手にプレッシャーを与えていることがあるのです。

控えめな態度であっても、控えめアピールを「やり過ぎてしまう」と、相手に負担や抵抗感を感じさせることがあるのです。相手が、物事の道理をわかっているタイプであるほど、そういうところに敏感に気づき、信頼や信用をされず、関係が深まっていかないこともあるんですよね・・・。

 ふさわしい「度合い」を、調整していくといい。

例えば、こういうケースを想像してみてください。

そんなに大きなことではない、ちょっとした親切をしたとして、相手が、そのことに謝意を示してくれるのはいいとしても

それを、いつまでも話題にだされたり、実際以上の感謝を会うたびに示されたら、その姿勢をありがたがるよりも、負担に思う気持ちのほうが大きくならないでしょうか。

まるで「もっとやってくれ」「毎回、そうしてください」と要求されているかのような、プレッシャーになることもあります。

そのように、すばらしいことであっても、望ましいことであっても、やりすぎると、逆の作用になってしまうこともあるのです。

一般的には、相手を尊重することは素晴らしいことなのです。また、そういう気配りの仕方をしようとする人は、常識的で賢い人が多く、それまでに「そこ」を評価されてきて、自分は世の中的に良いとされる振る舞いをしているという自負もあるので、なかなか、やり過ぎていることに気づけないものです。または、何となくわかっていても、自分が評価されてきたポイントですから、緩めることや改めることが難しい場合もあります。

そういうときは、このように考えてみましょう。

出来ていないことを努力で出来るようにするのは、とっても困難です。ですが、出来ていることを少し緩めるのは、「できる人だからこそ可能な調整」です。その調整によって、ものごとが「もっとうまくいく可能性」がでてくるとしたら、それを選ぶ価値は十分にあるはずです。

ほんの少しの気づきと(受け入れるまでの抵抗感を乗り越える必要はありますが)、それによる行動の変化で、人間関係が楽になり、評価も得られるようになります。ちょうどいい「度合い」で、素晴らしさを発揮するようにしましょう。

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