自分のコンディションは、自然の様子をどう見るかで計ることができる。

この世には時間というしくみが存在しますね。(このしくみは現世特有のものであり、霊的な世界には、現世のような意味での時間というものはありません)、自分を含めたものごとは常に変化していくようになっています。

だからこそ、この世という場所で、私たちは「成長」という変化を経験することができます。

そういう意味では、時間というしくみが学びに役立っているのですが、変化するゆえに、コンディションが上がったり下がったりして、一定しない状態を経験することにもなります。

「時間」というしくみがあって「成長という変化」ができるかわりに、「コンディションの上下という変化」も、引き受けてしまうことになるのが、この世で過ごすという学びなのですね。

そういう中で、「最近の自分のコンディションは、どのような位置付けだろうか」と気になることがあれば、目安となるとても簡単な方法があります。外にでて、自然の様子ながめているといいのです。

たとえば、空の様子、太陽、山、花、といった自然の様子が、「整っていて、美しく見える」とか、「いい状態に見える」なら、「そう見ている自分のコンディションが、ある程度、整っている」と、とらえていいでしょう。

理由は以下のとおりです。

この世のものごとが常に変化していくのは、すべてに当てはまりますので、人の状態も、自然の様子も同じです。

ですが、この点が違います。

人間は「自分自身によって、自分を変えられる」ので、自らが、自分のコンディションを下げてしまうことがしばしばあります。

そういう意味で(変化は、すべてに共通のしくみだけれども)、人の変化する振り幅は大きく、「人の状態というのは、あまり安定していない、不規則なものである」といえます。

一方、自然の様子は、自然自身?が、それを上げたり下げたりすることはありません。人の感覚からすると、突然、強風になったり、突然曇りになったりと、変化が激しいように見えますが、自然現象とは、そうして変化や揺らぎがあることが「通常運転」なんですよね。

人のように、自分自身によって、その時点での状態を変えてしまうことはないという点では、「自然の状態は、常に変化の動きがとまることはないという規則性」があります。「動きがあり、止まることはないという、わかりきった安定」があるのです。

すべてが変化していくこの世という場所で、「規則性と安定のある、大きな存在である自然」という対象をみて、どのように認識されるかによって、その時の自分の状態を、ある程度は計ることができます。

自然には、動きがあっても、人間のような不安定さからくる上下はありません。そうした対象をみて、感じられることの違いというのは、そのときの自分自身のコンディションが反映していることになります。

今日の自分にとって、窓からさす太陽の光や、風の動きがどう感じられるか。見上げる空の様子はどう思えるか。そんなふうに考えるひとときは、自分を計ると同時に、自分を癒してくれる時間にもなります。

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