他者のオーラを感じる力は、皆に備わっている。

人並み外れた存在感がある人や、目立つ人、華やかな活躍をしている人などに対して「彼には、オーラがあるよね!」などという言い方をすることがありますよね。

オーラは、すべての人にある。

36825317 - winter travel
実際は、オーラは特定の人だけにあるものではなく、誰にでもあるのですが、

上記のような表現は、雰囲気や存在感が独特だったり印象深かったりする存在であったり、カリスマ性を感じさせる人に対して使われます。

「目に見えない何かを、持っている人なんだね」という敬意を払う気持ちからの表現でもあるのでしょう。

そして、存在感が大きくて目立つ方は、実際にオーラが大きいとか勢いが強いなどの特徴的な様子が見られることが多いので、それらを何となく感じ取っているのかもしれません。

オーラを感じる力も、すべての人に備わっている。

人は皆、広い意味でのスピリチュアルなセンスをもっていて、雰囲気を把握する力とか、見えない領域のエネルギーを感覚として感じ取る力などが、備わっています。そういうセンスを無意識に使っていて、カリスマ性があったり、目立つ性質をもった人のオーラを、「オーラがあるね(=他の人と、何か違うものがある人だね)」という認識として、感じ取っているのだと思います。

オーラを視覚的にとらえているわけではなくても、日常会話の中で、「オーラがあるね」という表現を好んで使う人がいるとしたら、その人は、感じ取る力や察知する力が、平均よりも高く備わっている可能性があります。

察知の仕方、把握の仕方はいろいろで、その人の感じやすい領域というものがあり、どうしても受け取る個人のバイアスが掛かってしまうものなので、「あの人の、オーラが○○と思った」という自分の感覚が必ずしも実状と当てはまるとは限りません。

ですが、「オーラがあるね」という(他の人より印象深いものがあるね、強さを感じるねというような)大まかな印象というのは、おそらくは「だいたい当たっている」のではないかなと思います。

知識があると、把握しやすくなります。

「オーラとはこういうものだ」とか、「こういう状態が、ありうる」というしくみが、知識として備わっていると、そういう前提で解釈しようと意図的になれることと、受け取ったものを結びつけて解釈することができますので、オーラを感じるセンスが底上げされることがあります。

センスそのものが高まるのとは違うけれども、知識がそれを裏付けしてくれることで、「気のせいかな」と思っていたことが、「あるいは、そういうこともあるのかも」という解釈に昇格していくことで、その積み重ねによって、自分の受け取り方の規則性がわかったり作られたりしていくためです。

感じる力を磨くだけでは、感じたものを解釈するための材料がなく、たとえば、英語のリスニングで「聞こえているけれど、単語の意味がわからないから文章の内容がわからない」のと同じ状態で、それを「わからない」と認識してしまいます。

しかし、結びつける知識があると、「これが、○○ということかな」と結びつけていけるので、微細な自分の感覚を信頼していけるので、把握しやすくなりますね。

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