結局、誰の言う「スピリチュアル」が、正しい内容なのか。

今の時代は、情報がいくらでも簡単に得られる時代です。一昔前とはかわり、スピリチュアルな情報も、ネット上に山のように存在します。

そうした、たくさんの「スピリチュアルな情報」にふれて、その解釈や主張の違いなどについて、タイトルのように「誰の言うことが、正しいスピリチュアルなの?」と思ったことがある方は少なくないでしょう。

主張している方たちの、理解や解釈の深さの差はやはりありますので、「ある一定レベル以上の理解力や把握力がある人が、説明をしている場合に」という前提で言うならば、「どの意見も、完全な正しさはない」のです。

この世で肉体をともなって生きる、私たち人間にとって、「スピリチュアルな領域のこと」とは、認識も把握も、しにくいものです。それを言葉で説明することは、たとえるなら「無色透明の領域を、言葉で説明する」に等しい、とても難しくて、伝えにくいことなのです。

無色透明をわかりやすくするために、あえて薄い色をつけて、把握しやすくするような、言葉での置きかえを行えば、

言葉に置き換えた時点で、その説明者の、その人の解釈による色が、どうしても少しはのってしまうことになります。これは避けられませんから、「完全な」正しさは、存在しないのです。

ご存じの方も多いかもしれませんが、調理に使うガスコンロの「ガス」は、本来は無色無臭です。ですが、漏洩したときに人が感知できるように、あえて匂いを「つけている」そうです。私たちは、あの匂いを「ガスの匂い」と思っているけれども、本来は無臭なのだとか。

スピリチュアルなことを、言葉で説明するのもそれと似ていて、あえて「本来のそのままではない」ものに、例えたり置き換えたりして、わかりやすくしています。

そうしないと、理解の糸口がつかめないからです。

スピリチュアルな領域のことは、「はじまり」も「おわり」もなく、「あれ」と「それ」という区分もなく、すべてつながって「ひとつ」です。そうした事柄の、そのままを説明することも、理解することも、とても困難です。

本来ならひとつで、区分もなにもないところを、便宜上の区分をつけて、わかりやすく説明した内容となりますので、語る人によって、違いはでてきてしまいます。

言うなれば、この画像のように、空気という枠組みのない領域の、ある一部分をしゃぼん玉で分類して、「それ」について、語っているようなものなのです。

この世には、「はじまり」と「おわり」があり、「あれ」と「それ」という区分けもあります。どちらも、時間という仕組みによるものです。そこが決定的に違うので、私たちは無色透明のそのままのスピリチュアルを、どうやっても、そのままを完全に理解することは、できないようになっています。

だからある程度、主張や説明にばらつきがあることが自然だと思うのですよね。ある人は薄いピンクの色をのせて説明し、また別の人は、うすいブルーをのせて説明しているようなものでしょうから。

そして大切なことは、薄くのせた色がピンクとブルーが一致していないとか、どちらが正しいということが、論点ではないという点です。そこを気にしてしまうと、例えていえば、ガスを認識するために後付けした匂いはふさわしいのか、のような「違う話」になってしまいます。

色をのせて説明している、「それ」の、理解がしっかりできているかが大事ですから、いろんな解釈の仕方、切り口の違いをうまく解釈して、自分の理解を深めていけばいいですよね。

極力、のせた色が主張しないように薄くすることも可能ですが、しかし、薄めすぎても無色透明でわからなくなりますから、兼ね合いが難しいのです。私も、スピリチュアルなことを説明するにあたり、できるかぎり「そのもの」に近いように、最小限の色だけをのせるようにと、常にそこは意識してとりくんでいます。

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