自分らしいのが一番いいという、オーラ的考察。

「自分らしく、自分にあっているのがいい」、というのは、言葉のとおりの事実です。

励ますための表向きのセリフではないし、気の持ちようとしてやる気を出すためという目的でもありません。実際に、自分に合っていることを選んだ場合の、自分が得られる効果は大きいからです。

合うことをしていると、他者に与える印象も、大きくて深いものとなりやすいです。それは、エネルギー的に(本人と、選んでいる事柄の間に)違和感がないので、肯定的な印象になりやすいのです。

行動と、エネルギーの勢いが揃っているか。

一例をあげると、「意欲的で活力いっぱいな人」は、オーラにもそれがあらわれていて、外へ向かうエネルギーの「勢い」が力強いです。こういう人は、わかりやすい憧れの対象となります。「いいなー、あんなふうになりたいな」と思われやすいです。

こういうタイプの人は、言動がわりと単純ですね。声が大きくて、あははーと笑って、人によく声を掛けて、いつも誰かと一緒で賑やかに会話しているというパターンがあり、表面の行動だけを真似ようするなら簡単です。

けれど、個性の違う他人が、その人の個性を無視して、表面の元気さのみ真似しても・・・「エネルギーの動きが、行動についていかない」ので、印象が強くならないのですよね。

イメージとして距離におきかえると、本当に元気な人の場合、「実際の行動の勢いが、5m」くらいの長さがあるとします。そうなると、本人から放たれる「エネルギーも、その勢いに付随して、5m」となるので、器と中身がそろっていて違和感がないです。

ところが、個性の違う別の人が、元気さのみ真似した場合、「行動の勢いが、5m」のことをしても・・・、その人から放たれるエネルギーが3mくらいしかなければ、同じ言動をとっても「エネルギーが乗っていない」ので、印象が強くなりません。エネルギーが伴っていない違和感のほうが、むしろ大きく感じられてしまいます。

自分らしい行動に、肯定的なエネルギーがのりやすい。

人にはみな、感性というエネルギーセンサーがあるので、そういうことがなんとなく伝わってしまいます。何がどうという具体的なことではなくても、違和感やら無理している感じやらがわかってしまいます。

日常で誰もが、社会生活をする上で、ある程度の本音と建前を使い分けているものです。エネルギーのしくみとしては上記の説明と同じで、建前の言動は本音ほどにはエネルギーが乗っていないものですが、しかし極端なまでに落差がなければ、違和感までは与えない、許容範囲内です。

けれど、自分から意図的に「本来の自分と違うことを演じるかのような言動」をとるのは、「エネルギーの伴わない度」が大きいです。表面の言動をテクニック的にいかに上手にしても、その人「らしさ」が伴っていないと、他者に伝わる印象は強いものにはなりにくいです。

それぞれ個性は違っていて、自分には自分の良いところがあります。それを使っていくことが大事です。そうすると言動にエネルギーが乗り、肯定的な印象を与えやすいです。無理な頑張り方よりも、やりやすい頑張り方のほうが効果が大きいのです。自分も楽だし、相手にも伝わりやすくなります。

具体的な例をあげると、とても大人しい性格の人が、明石家さんまさんの言動を真似ても、きっと痛々しさしかないですよね。同じようには印象付きません。それは、「言動の型」に、「伴うエネルギーが入っていない」からです。その落差の印象です。

逆に、さんまさんが、静かで大人しい人の言動を真似ても、きっと別の違和感の印象になりそうです。「言動の型」と「入っているエネルギーの種類が違う」というやはり差異が印象付いてしまうと思います。

自分の本音100%にすべき、という意味ではなくて。理想を追うのがダメということでもなく。自分に備わっているものを「いかしながら」、やりたいことをするというバランスが大事ではないでしょうか。

自分という器に、あった「エネルギーの使い方」をするのが一番いいのです。自分的に無理がないし、相手にとっても違和感もなく、伝わりやすくて印象が深くなります。

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