誰が当事者であるのか(自分が含まれているか)という考え方。

他人に降りかかっている問題を、まるで自分のことのように受けとめて何とか改善や解決をしようと頑張り過ぎてしまう人がいるものです。そうなるのは、情に厚い、お人好しなタイプの「善人」なのでしょうけれども、関わる度合いは、よく考えてから行動するほうがいいですね。

主張している内容はとても正論であっても、当事者ではない人が、踏み込みすぎると、状況がこじれてしまうことがあるからです。

「自分自身が関わっている問題」と、「自分が当事者ではないが、間接的に関わっている問題」ならよいけれども、「他人の問題(その人自身の問題)」や、「自分が当事者でもなく関わってもいない、見聞きした問題」には、あまり口を挟んだり手を出したりしないほうが、お互いのためになるケースは多々あります。

直接の関係がないのに、そこまで心配してもらえてありがたい、と思ってもらえるケースばかりではないからです。

どこまで関わるかは、状況で判断する。

他人に口を出されなくないことも、ありますよね。たとえば、くだらない揉め事とわかっていても、近しい関係だから感情的に収まらなく、お互いにわかっていながら言い合いになっている状況があるとして、他人から正論で諭されても、火に油を注ぐことになりかねません。

または、そうしてお互いにガス抜きをしているだけなのに(つまり、くだらないことだとお互いにわかっているが、言わずにられないので、言い合いになっているだけ)、途中で、「正論の仲裁」をしてしまうと、やり場のない怒りが、部外者である仲裁者に向いてしまうこともあります。

そうなったら、誰も得をしませんよね。

確かに、他人だから分かる部分はあるけれど。

岡目八目という言葉があるように、ちょっと離れて客観視することでわかることはたくさんあります。だからこそ助けたいという優しさは素晴らしいですが、まるで自分が当事者であるかのような熱心さでそこに関わってしまっても、自分が大変になる・・・だけならともかく、逆恨みされたり誤解されたりしてなおさら状況が混乱する場合もあります。

そこはよくよく考えて、ベストな方法と度合いを判断していくことが大切だと思うのです。

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